グリフィンドールに入りたい

主に本や映画の感想を書こうかと。プライベートについてどれくらい書くかは思案中。

家計簿を付け始めた。

 実家に寄生して学生をしていたころは家計簿を付けることもなかったのだけど、一人暮らしで金を貯めなならんちゅうことで、家計簿アプリをダウンロードして、昨日から使い始めた。『おカネレコ』というアプリなのだが、無料版もあったのに400円払って買ってしまった。少々高いような気もしたけれど、機能がシンプルでわかりやすいのには満足。レシートの読み取りをしてくれるのもありがたいよね。

 Excelで家計簿をつけたり、紙の家計簿を買ったりすることも考えたけれど、いきなり本格的にやろうとするときっと挫折するに違いないと思い、それは考えなおして、スマホのアプリを使用することにしたわけだけど、正解だったと思う。レシートの読み取りをしてくれるというのもありがたいし、物を買ったその場で数字を打ち込めるというのも便利で嬉しい。

満員電車キッツイw

 上京したのだが(東京都の隣県なので正確には違うかも)、朝夕の満員電車が予想以上だった。座れないのはしょうがないと思っていたし、つり革を握れないかもしれないとは思っていたけれど、まさか前後左右に潰されながら電車に乗るハメになるは思ってもみなかった。

 まあ、だけど、これはしょうがないよね。我慢。我慢。

 さて、明日も張り切っていこう!

部活の仲間と

 久々に部活の同期のH君と酒を飲み交わした。非常に気持の良い酒を飲むことができた。思い出話に花が咲き、お互いの近況報告をした。

 大学の3年生まで大学生活のかなりの部分を部活に捧げてきたことを後悔したこともあったし、今でももっと上手い時間の使い方はあったと思っているのだけれども、決して無駄な時間を過ごしたわけではなかったのだと思うことができた。コミュニケーションがあまり上手でない私が、こうやって利害関係を考えることなしに食事をすることができる友人をつくることができたのは、まぎれもなく部活に精一杯取り組んだからなのだ。

 勉強や読書、アルバイトにもっと時間を使いたかったという後悔は確かにあるのだが、自分の学生生活に胸を張ってもいいのではないかという心境なのだ。

 謙虚に、しかし胸を張って社会人としての一歩を踏みだそう。 

地方論・郊外論に見る、地獄インターネッツ()

 タイトルのままです。地方論・郊外論にインターネッツ()の地獄を見ました。

 最近、ツイッター及びはてなブログで地方論・郊外論が盛り上がっているのを観察したのですが、どうもしっくりこない。的外れだ。次第にイラついてくる。何故だろうかと考えて、思いついた理由は大きく2つ。

  1. 事実に基づいていない。あるいは極稀な現象を一般化している。→事実誤認と稚拙な論理展開
  2. 憎悪表現が多発しており、部落差別などの地域差別を想起する。論じる人間と同調する人間の差別心が透けている。→あまりに自分本位で攻撃的な表現

 まずは、1番目について。事実関係と事実から導く結論が、決定的にまずい。

 あるいは地方人はレイシスト(事実誤認)。あるいは地方は北関東的 (過度な一般化)。あるいは全ての地方人は公務員へのコネを持つ(事実誤認)。あるいは地方人は首都圏に来るべからず(意味不明な結論)。

 こういったところであろうか。溜息しか出ないのだが、これが一部ではなぜか評価されているわけですね。

 次に2番目ですが、上記の表現で一目瞭然でしょう。そうか、そうなのか。地方人はいつの間にかレイシストになっていたのか。レイシストは地方に隔離するとしよう……部落差別と同等の、理不尽で馬鹿馬鹿しい差別心が吐露されているわけです。

 私見ですが、この手の地方論・郊外論を唱えたり、同調したりする人間には傾向がああります。

 自省を伴わず、他罰的。当事者に近くはあっても当事者ではない。もしくはかつては当事者であったが、今は当事者ではない。安全圏から安心して石を投げているわけですね。中には、非難された瞬間に非当事者から当事者に変身するようなズルい人もいます。

 事実の誤認や不適切な論理展開による差別の正当化というインターネットに蔓延る問題が凝縮されているのが、地方論・郊外論なのではないのかと思った次第です。

 

留年はネタにできない。

メモ:卒業後に留年歴をネタにするべからず。誰も笑わない。


確かに。ネタにするつもりはなかったし、今までもほとんどネタにしたことはなかったけれど、気を付けよう。

酔って書く快感。

 昨日は久々に酔った勢いでブログ記事を書いた。気持ち良かった。酔って書く文章、夜中にあまりはっきりとしない文章は論理が錯綜したり、自意識過剰になったりしてしまうのだけれど、書いている本人としては気持ちが良い。

 大事なメールや就職活動のエントリーシートは、深夜には書かないのが鉄則だと聞いたことがあるけれど本当にそうだと思う。相手に伝えることが目的なのに、書いている途中でテンションがおかしくなって独りよがりな文章になってしまいがちなんだよね。だから翌朝にもう一度読みなおすといいのだそうだ。

 ブログの文章は元から書き散らすつもりだったから、多少の書き直しを除けばそのままにしますけれどね。

努力や運でのし上がれる社会こそ素晴らしい。

 生まれた家で左右されるのはある程度はしょうがないのかもしれないけれど、本人の努力や運でのし上がれる社会でないと駄目だと思う。そして恵まれた者は恵まれた立場に自覚的にならなければ憎まれてもしょうがない。そのように思った。細川護煕さんを見ていて。

 努力と運によってのし上がれる社会が穏当だけど刺激もあって素晴らしいのではないか。金持ちに生まれるのもよい両親に生まれるのも、それは運。才能に恵まれるのだって運だろう。才能を生かすのは努力だろうが。

 努力だけで全てが決まる社会なんて実現不可能だ。仮に可能だとしてもそれは個々人の行動の全てに責任が問われる社会であって、地獄そのものだ。それでは運だけで決まる人生、その人生の集合たる社会はどうか。そのような人生は生きるに値しない。社会は進歩しない。

 今を生きる私たちにとって最も生きやすいのは、努力も運も認められる社会なのだろう。努力と運は対置できるような概念ではないかもしれないが、今ふと思ったのは以上のようなことなのだ。