かぐや姫の物語
先日、かぐや姫の物語を劇場に観に行った。
少しネタバレになるのかもしれないけれど、高畑勲さんは仏教的な価値観を軽くdisっているような気がした。輪廻から解脱したような理想郷のような月の世界を決して肯定的に描いてはいなかった。むしろ、地上世界を肯定しようとしていた。月の世界とは違い、この世は汚いし、苦しみばかりだ。だけど、汚れ苦しむからこそ、この世は生きるに値するのだよね。「穢れる」ことこそが生きること。穢れることに絶望したかぐや姫は月に戻らなければならなかった。
絶望したのは御門から求婚されたときだろう。あの時、月に助けを求めたのだろう。絶望すれば帰らなかればならないと約束していた。例えその一瞬だけだったとしても約束は約束。かぐや姫は帰らなければならない。
月に帰らなければならなくなってからのかぐや姫が限られた生を精一杯生きていたのが愛おしくて悲しかった。
この世は苦しみに満ちているし、きれいごとでは収まらない。それでも、与えられた生を精一杯生きるべきだ。高畑さんのメッセージはこういうことなのではないかと思った。