グリフィンドールに入りたい

主に本や映画の感想を書こうかと。プライベートについてどれくらい書くかは思案中。

『あまちゃん』を見終わってしまう。あまロスになっちゃうよ。

 今年の2月くらいから、ちょっとずつ『あまちゃん』を見続けてきたのだけれど、ようやっと佳境に入ってきた。今は、アキちゃんとユイちゃんが潮騒のメモリーズを再結成したところ。

 終盤の北三陸復興編は、序盤の北三陸編や中盤の東京編ほどは感情移入できず、人物の行動に疑問を持つこともあるんだけれど、それでもやはり面白いよね。

 自分があまちゃんを好きな理由っていくつかあるけれど、

 1.能年玲奈橋本愛、それと有村架純がかわいい

 2.ユイちゃんやアキちゃんに感情移入できる

 3.気楽に笑いながら見られる

ってとこが大きな理由だろうか。

 女優がかわいいのは言わずもがなでしょ(笑)気楽に見られるのも朝ドラの大事な要素。

 そして、男なのに女優に感情移入してしまう問題。東京に行きたいユイちゃん。東京では引きこもりがちだったけれど、北三陸でイキイキと輝くアキちゃん。現状の自分に不満をもっていたり、心を開くのが下手なユイちゃんに感情移入してしまう駄目な大人だったのだ。見ていて痛くなったよ。

 自分も実家からこの春上京したから、ユイちゃんの叫びにはグッとさせられちゃうんだよね。もともと、『あまちゃん』を見始めたキッカケが、紅白のあまちゃんシーンだからね。念願叶い初めて上京できたユイちゃんに涙したという友人の話を聞いて、「あまちゃん」を見てみることしたんだよ。

 そして、主人公のアキちゃんの行動はよくわからないところも多いのだけれども、海女として、アイドルとして成長していく姿を見ると、すげえ元気づけられるだよね。

 この数ヶ月は、帰宅後の『あまちゃん』を楽しみにして生きていたから、見終わるとあまロスになるだろうなあ。もう一度、最初から見直してみようかしら。

家計簿を付け始めた。

 実家に寄生して学生をしていたころは家計簿を付けることもなかったのだけど、一人暮らしで金を貯めなならんちゅうことで、家計簿アプリをダウンロードして、昨日から使い始めた。『おカネレコ』というアプリなのだが、無料版もあったのに400円払って買ってしまった。少々高いような気もしたけれど、機能がシンプルでわかりやすいのには満足。レシートの読み取りをしてくれるのもありがたいよね。

 Excelで家計簿をつけたり、紙の家計簿を買ったりすることも考えたけれど、いきなり本格的にやろうとするときっと挫折するに違いないと思い、それは考えなおして、スマホのアプリを使用することにしたわけだけど、正解だったと思う。レシートの読み取りをしてくれるというのもありがたいし、物を買ったその場で数字を打ち込めるというのも便利で嬉しい。

満員電車キッツイw

 上京したのだが(東京都の隣県なので正確には違うかも)、朝夕の満員電車が予想以上だった。座れないのはしょうがないと思っていたし、つり革を握れないかもしれないとは思っていたけれど、まさか前後左右に潰されながら電車に乗るハメになるは思ってもみなかった。

 まあ、だけど、これはしょうがないよね。我慢。我慢。

 さて、明日も張り切っていこう!

部活の仲間と

 久々に部活の同期のH君と酒を飲み交わした。非常に気持の良い酒を飲むことができた。思い出話に花が咲き、お互いの近況報告をした。

 大学の3年生まで大学生活のかなりの部分を部活に捧げてきたことを後悔したこともあったし、今でももっと上手い時間の使い方はあったと思っているのだけれども、決して無駄な時間を過ごしたわけではなかったのだと思うことができた。コミュニケーションがあまり上手でない私が、こうやって利害関係を考えることなしに食事をすることができる友人をつくることができたのは、まぎれもなく部活に精一杯取り組んだからなのだ。

 勉強や読書、アルバイトにもっと時間を使いたかったという後悔は確かにあるのだが、自分の学生生活に胸を張ってもいいのではないかという心境なのだ。

 謙虚に、しかし胸を張って社会人としての一歩を踏みだそう。 

地方論・郊外論に見る、地獄インターネッツ()

 タイトルのままです。地方論・郊外論にインターネッツ()の地獄を見ました。

 最近、ツイッター及びはてなブログで地方論・郊外論が盛り上がっているのを観察したのですが、どうもしっくりこない。的外れだ。次第にイラついてくる。何故だろうかと考えて、思いついた理由は大きく2つ。

  1. 事実に基づいていない。あるいは極稀な現象を一般化している。→事実誤認と稚拙な論理展開
  2. 憎悪表現が多発しており、部落差別などの地域差別を想起する。論じる人間と同調する人間の差別心が透けている。→あまりに自分本位で攻撃的な表現

 まずは、1番目について。事実関係と事実から導く結論が、決定的にまずい。

 あるいは地方人はレイシスト(事実誤認)。あるいは地方は北関東的 (過度な一般化)。あるいは全ての地方人は公務員へのコネを持つ(事実誤認)。あるいは地方人は首都圏に来るべからず(意味不明な結論)。

 こういったところであろうか。溜息しか出ないのだが、これが一部ではなぜか評価されているわけですね。

 次に2番目ですが、上記の表現で一目瞭然でしょう。そうか、そうなのか。地方人はいつの間にかレイシストになっていたのか。レイシストは地方に隔離するとしよう……部落差別と同等の、理不尽で馬鹿馬鹿しい差別心が吐露されているわけです。

 私見ですが、この手の地方論・郊外論を唱えたり、同調したりする人間には傾向がああります。

 自省を伴わず、他罰的。当事者に近くはあっても当事者ではない。もしくはかつては当事者であったが、今は当事者ではない。安全圏から安心して石を投げているわけですね。中には、非難された瞬間に非当事者から当事者に変身するようなズルい人もいます。

 事実の誤認や不適切な論理展開による差別の正当化というインターネットに蔓延る問題が凝縮されているのが、地方論・郊外論なのではないのかと思った次第です。

 

酔って書く快感。

 昨日は久々に酔った勢いでブログ記事を書いた。気持ち良かった。酔って書く文章、夜中にあまりはっきりとしない文章は論理が錯綜したり、自意識過剰になったりしてしまうのだけれど、書いている本人としては気持ちが良い。

 大事なメールや就職活動のエントリーシートは、深夜には書かないのが鉄則だと聞いたことがあるけれど本当にそうだと思う。相手に伝えることが目的なのに、書いている途中でテンションがおかしくなって独りよがりな文章になってしまいがちなんだよね。だから翌朝にもう一度読みなおすといいのだそうだ。

 ブログの文章は元から書き散らすつもりだったから、多少の書き直しを除けばそのままにしますけれどね。