グリフィンドールに入りたい

主に本や映画の感想を書こうかと。プライベートについてどれくらい書くかは思案中。

地方論・郊外論に見る、地獄インターネッツ()

 タイトルのままです。地方論・郊外論にインターネッツ()の地獄を見ました。

 最近、ツイッター及びはてなブログで地方論・郊外論が盛り上がっているのを観察したのですが、どうもしっくりこない。的外れだ。次第にイラついてくる。何故だろうかと考えて、思いついた理由は大きく2つ。

  1. 事実に基づいていない。あるいは極稀な現象を一般化している。→事実誤認と稚拙な論理展開
  2. 憎悪表現が多発しており、部落差別などの地域差別を想起する。論じる人間と同調する人間の差別心が透けている。→あまりに自分本位で攻撃的な表現

 まずは、1番目について。事実関係と事実から導く結論が、決定的にまずい。

 あるいは地方人はレイシスト(事実誤認)。あるいは地方は北関東的 (過度な一般化)。あるいは全ての地方人は公務員へのコネを持つ(事実誤認)。あるいは地方人は首都圏に来るべからず(意味不明な結論)。

 こういったところであろうか。溜息しか出ないのだが、これが一部ではなぜか評価されているわけですね。

 次に2番目ですが、上記の表現で一目瞭然でしょう。そうか、そうなのか。地方人はいつの間にかレイシストになっていたのか。レイシストは地方に隔離するとしよう……部落差別と同等の、理不尽で馬鹿馬鹿しい差別心が吐露されているわけです。

 私見ですが、この手の地方論・郊外論を唱えたり、同調したりする人間には傾向がああります。

 自省を伴わず、他罰的。当事者に近くはあっても当事者ではない。もしくはかつては当事者であったが、今は当事者ではない。安全圏から安心して石を投げているわけですね。中には、非難された瞬間に非当事者から当事者に変身するようなズルい人もいます。

 事実の誤認や不適切な論理展開による差別の正当化というインターネットに蔓延る問題が凝縮されているのが、地方論・郊外論なのではないのかと思った次第です。